ZUTTOな人々公開日:2024.10.09更新日:2024.10.07

愛する歌と母親の介護を両立して<シャンソン歌手>具志堅ナヲさん

愛する歌と母親の介護を両立して<シャンソン歌手>具志堅ナヲさん

伸びやかで華やかに、時に切なく、具志堅さんの歌声はCDで聴いても胸に迫るようなライブ感にあふれています。お母様を介護するために単身で呉市へ帰郷。その後、シャンソンと出会い、東京・大阪のシャンソニエやホールに出演するなど充実した時間を過ごしておられます。フランス語の“C'est la vie. セラヴィ”~それが人生!~と明るく語りかけるような、具志堅さんのライフシフトについてお聞きしました。

目次

シャンソンはドラマ、私の声と心で表現する

具志堅さんがシャンソンに出会ったのは、およそ10年前のこと。東京で役者をしている友人が歌い始めたばかりのシャンソンについて語ったのがきっかけです。

 

「彼女の“シャンソンはドラマ”という言葉にとても惹かれて、私も歌ってみたいと思いました」

 

具志堅さんには合唱や声楽を長く続けてきた経験がありました。そこでさっそく評判の良い教室を探して、広島市にある日高摩梨エコール・ドゥ・ピアフ シャンソン教室に入門。

 

「シャンソンで知っている曲はありますか?と聞かれて、“サン・トワ・マミー”を歌ってみたんです。すると、“合唱をなさってる方は、きちん譜面のとおりに歌いますね”と言われまして、これはカルチャーショックでした。合唱ではいくつものパートに分かれた団員が、ひとつになって美しいハーモニーを築き上げます。それは今でも音楽の喜びですが、シャンソンは違うんですね。そうか私なりに歌い、表現することがシャンソンの醍醐味なんだなとあらためて実感しました」

 

これまで具志堅さんが合唱や声楽で培った発声、音感、リズム感、声量などは“歌う基礎ができている”と評価されました。さらに、

 

「私の低い声はシャンソンに向いているそうなんです。あるがままの地声で歌えることは楽しく、ますますシャンソンにハマっていきました」

 

中学生の頃は、音楽の授業で習う唱歌のキーが高すぎて、仕方なく裏声で歌っていたそう。シャンソンと出会ったことで、自分の短所と思っていたことがくるりと裏返り、誇らしい長所になる思いがけない展開へ。まさに、ドラマですね。

 

ZUTTO(ずっと)な人々 具志堅さん

自分でクルマを運転し、伴奏用CDをかけて大きな声で歌の練習をしています。

家族の理解と応援のもと、母の介護のために帰郷

呉市で生まれた具志堅さんは高校を卒業後、専門学校でデザインを学ぶために東京へ。

 

「製版・デザインの会社に就職した後、フリーランスになって仕事をしていました。千葉県船橋市で夫、二人の娘と暮らし、合唱を始めたのは娘が幼稚園に通っている頃でした。歌うことが楽しくて、津田沼混声合唱団、女性コーラス“さざんか”などに所属し、20年以上も合唱と声楽を趣味として続けました」

 

その後、お母様の介護が必要になり、具志堅さんは単身で呉市へ帰郷することに。

 

「母一人子一人ですから、私は迷うことなく決意し、家族も応援してくれました。久しぶりの故郷は古い友人も多く、住心地がいい街だなあ、と」

 

介護の合間に、余暇を使って呉観光ボランティアガイドの会に参加。自分と同じように老親の世話をする方と知り合い、女同士で気兼ねなく悩みやグチを言い合える交流が生まれたそうです。

 

「呉市には音戸町を中心に歌い継がれる民謡“音戸の舟唄”があるんです。私も歌いたいと思って保存会に入りました」

 

歌を愛する具志堅さんは、それから間もなくシャンソンに出会うのでした。

 

ZUTTO(ずっと)な人々 具志堅さんCD

デザインのキャリアを活かして、ライブのチラシなどをこつこつ作るのが好きです。初CDのジャケットデザインも手がけました。

シャンソンを歌い、受賞、CD、多彩な活動へ

シャンソンのドラマチックな世界に魅了された具志堅さんは、シャンソン教室の発表会で歌い始め、広島市内のライブハウス“”ライブジューク”で開催される“シャンソン・フォリー”や“シャンソン歌い放題”に出演するなど活動の場は広がっていきました。

 

「いよいよ大阪のシャンソニエ(シャンソンが聴けるライブハウス)に呼んでいただき、デビューすることになりました。私の本名には固いイメージがあると思っていましたので、先輩に相談したところ、“なお”というステージネームが生まれました。ただ経験の浅い自分にはまだ早いかなという迷いも……。しかし、シャンソニエで共演した歌手の方に“今が好機!”と背中を押していただきました。さらに国語教師でもあるシャンソン仲間から提案があったのです。“ナヲ”の文字にしてはいかが、と」

 

“ナヲ”という音の響き、文字も気に入って、早速、“具志堅ナヲ”としてステージに立つようになりました。そして翌年には、

 

「2019年、日本シャンソン協会及び日本シャンソン・カンツォーネ振興協会が主催するコンクールでいずれもグランプリを受賞!還暦を迎えて2年後のことでしたが、これも新しいステージネームのおかげと心から感謝しています」

 

2022年には、グランプリ受賞曲“夜の通行人に捧ぐ”をタイトルにCDデビューを果たしました。さらに、東京や大阪で知り合った素晴らしいシャンソン歌手の方々を招き、地元に紹介したいと、5年前からライブ開催にも尽力。

 

「私は母の介護で帰郷しましたが、それからシャンソンを知っていろいろな出会いに恵まれました。なにごとも表裏一体なんだなあと感じます。これからも歌唱力を磨き、レパートリーを増やし、ステージングをショーアップして、価値のある歌を歌えるようになりたいですね。そして、中高年の方が活き活きと暮らすためにシャンソンを歌う会、チャリティーコンサートなど、身近にシャンソンを感じ、聴いていただける機会を企画し、実現していきたいと思います」

 

ZUTTO(ずっと)な人々 具志堅さんと呉の街

呉市の方々、高校の先輩方には活動を支援していただき、心から感謝しています。

プロフィール

具志堅 ナヲ(ぐしけん なを)

広島県呉市生まれ。シャンソン歌手。東京の専門学校に進学し、就職、結婚。お母様の介護のために帰郷後、シャンソンに出会い、日高摩梨氏に師事。2019年に2つのコンクールでグランプリ受賞、2022年にCDデビュー。東京・大阪のシャンソニエ、コンサートなどに出演のほか地域の活動にも積極的に参加している。第33回を迎えた“せとだパリ祭”に今年から出演。

編集部より

取材に先立って、具志堅さんが歌うライブの様子をインターネットで拝見しました。歌いながら物語を紡いでいくような、まさに“シャンソンはドラマ”を実感。お母様の介護をきっかけに帰郷し、シャンソン歌手として新しいライフステージをつくった具志堅さんは、きっとどこに居ても花を咲かせる方なのだと感じます。そして、周りの人たちへ感謝を忘れない姿勢がとても印象的でした。

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