ZUTTOな人々公開日:2024.09.24更新日:2024.09.23

書と俳句とともに尾道で私らしく生きる<書家>河野小由美さん

書と俳句とともに尾道で私らしく生きる<書家>河野小由美さん

今回ご登場いただくのは、尾道で会社勤めをしながら、書家としても活動してきた河野さんです。快晴の7月のある日、河野さんの活動拠点である尾道・向島でお話を聞きました。
河野さんは長年勤めた会社を辞め、書家一本での活動を決心されたところでした。そして、ご自身で詠んだ俳句も作品に取り入れているとのこと。河野さんの作品づくりやライフシフトへの想いとは―。

目次

書道と俳句、両方で作品を作り上げる

書道を始めたのは22歳、職場で仮名書道に誘われたのがきっかけでした。「仮名書道は短大の授業で体験したとき、楽しかった記憶があったので。実は初めての習い事でした」

 

一方、俳句に興味を持ったのは、鷲谷七菜子さんの句『野にて裂く封書一片曼珠沙華』との出会いでした。「この句を書にしたいと思ったの」より一層、書道への意欲が高まりました。

 

40代半ばからはご自身でも俳句を詠み、書に取り入れるようになりました。

尾道の俳句の会「じゃこむすびの会」にも所属、定期開催される句会や吟行にも参加しています。「俳句は一人ではなく、皆でできるのも楽しい。吟行に参加すると自分では思いつかない言葉も得られます」

 

他者が詠んだ句と自分が詠んだ句で、書にするときの違いはあるのでしょうか。「自分の句は作品として良くなる方に、字を変えても良いんですよ。他人の句はダメだけど、作者だから変えてもオッケー。ちょっと卑怯でしょう(笑)」

 

ここで、河野さんの作品を2つご紹介しましょう。

 

『かちわりや 西日をさらふ 波の音』

俳句では「さらふ(さらう)」は「持って逃げる」と「洗う」の二つの意味を表現しています。ただ、書にするとき、仮名の「さらふ」だとちょっと弱い。そこで、書の作品では『かちわりや 西日を浚ふ 波の音』と漢字に変え、見栄えがするようにしたそうです。

 

『八月の月は ほとけの顔をして』

八月には亡くなった方との距離が近くなる、その感覚を詠んだ句。「コロナ禍に会うことが叶わず亡くなった友人のことを、家の盆用意をしているとき、今でもふと思い出します」

書にするにあたり「ほとけ」→「仏」→「佛」と変え、佛という文字を大きく、そして少し変形させることでポイントにしました。「作品に遊びを出すことができ、気に入っています」

 

ZUTTOな人々 八月の月は佛の顔をして

書では『八月の月は佛の顔をして』。この句は2回作品になりました(左が二度目の作品、右が書展に出品した最初の作品)

 

「俳句と書道、今はどっちもないとダメ」と河野さんは言います。「書では白い紙に墨を入れるという快感もあるけど、作品を作り上げるという感覚は、俳句で言葉を選んで、それを書にしてこそだから」

仕事、家庭、書道。自分らしい人生の選択

「書一本にするなら、今かなと思ったの」

60代というライフステージに進み、仕事を定年以前と変わらないペースでできるかどうか、少しずつ不安を感じるようになりました。時を同じくして、高齢のお母さまのケアも増えました。

 

ただ一方で、書への想いがご自身の中で、より大きく育っていました。

 

「65歳まであと3年働いてからだと、新しい挑戦をするには厳しいかもしれないと思いました。頑張れるうちに、会社を辞めて書道に専念したいと。」

 

ZUTTO(ずっと)な人々 語る河野さん

「60歳が定年で65歳までは勤めようかなと考えていたけど退職を決心しました」と語る河野さん。

 

いつかは作品展をしたいという夢があった河野さん。「それが2024年に二人展を開催でき、うっかり叶っちゃった。二人展では自分の作品を皆さんに見てもらえて嬉しかったし、書を通じ、周りにちょっとだけ波を立てていきたいという気持ちになった。30センチぐらいの波かな(笑)」

 

書がつなぐご縁は他にもありました。じゃこむすびの会のご友人から、お店の看板を書いてほしいと依頼があったのです。書の先生にも見ていただきながら一生懸命書き、ご友人に喜んでもらえました。

「書道って自分のために書いているけど、それだけではないかもしれない」

 

河野さんには、今後、書にしたいご自身の俳句があります。

 

『シュレッダーの砕きゆく名や冬木立』

職場の以前の所長が亡くなってから10年。保管不要になった書類をシュレッダーにかけながら、ああ、時間が経ったなと思っているとき、ふっとできた句だそうです。

「この時、冬じゃなかったんだけど、浮かんできた季語がなぜか冬木立。この語に助けられて、寂しさ、冷たさが表現でき、良い句になりました。」

この句も書の作品として完成させたいが、まだ叶っていないとのこと。「シュレッダーがカタカナなので難しいの。いつか作品にできるように頑張ります」

 

ZUTTO(ずっと)な人々 河野さんと軸源の津口知幸さん

書とじゃこむすびの会でつながるご縁。「表具処 軸源」のご主人、津口知幸さんと。

 

取材協力:表具処 軸源(広島県尾道市向東町1222-50)

https://jikugen.jp/

プロフィール

河野 小由美(こうの さゆみ)

広島県尾道市生まれ。尾道短期大学を卒業後、尾道で就職し事務職として従事。学生時代から本が好き。22歳から仮名書道を、40代半ばから俳句を始める。書家としての雅号は「河野小苑」、俳号は「古乃子」。2024年に高垣秀光氏との二人展「書と色紙展」を開催。向島の「アート倶楽部風流ざ」の看板を手掛ける。尾道で俳句を楽しむ会「じゃこむすびの会」に参加。

編集部より

インタビュー中、河野さんがZUTTOの取材を受けてくださった理由について話してくださいました。
それは、ご自身がこの先何をしようかを考えるチャンスになったということ。「自分が考えていることを話して、第三者の視点で記事になった時、また違う角度で見えてくるんじゃないか。自分では、自分の中で考えていることしかわからないから。」
その言葉にプレッシャーを感じつつ記事をまとめましたが、執筆という形で河野さんの想いやお考えを追体験できたことが、ZUTTO編集部にとってもこれからの人生を考える機会になりました。素敵な体験をありがとうございました。

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