定年後の人生に、選んだのは家族と合気道<合気道すこやか道場師範>杉原伸昭さん
尾道に通い、ご両親の介護を中心にした生活へ
杉原さんは東広島市の事業所で定年退職を迎えました。会社から再雇用の打診はありましたが辞退し、新たな生活へと歩み出すことに。
「尾道には生まれ育った実家があり、今も両親が暮らしています。二人とも90歳を超えて、ご近所の方にゴミ出しを手伝ってもらうなど以前からお世話になっていました。この先々、ご迷惑をかけるのではないかと心配です。そこで私が定期的に通って介護し、生活をサポートすることを決意したのです」
月曜から木曜までは尾道に滞在し、買い物や住まいの手入れ、病院の付き添いなどを行い、地元のデイサービスも利用しています。
「尾道では以前から、地元の道場で合気道を教えてくれないかと頼まれていたんです。道場主は親しい友人の義姉様ですが、両親の介護を始めたことでご要望に応えることができました」
月曜から木曜は尾道に滞在してご両親を介護し、金曜から日曜は東広島市の自宅で過ごすというのが現在の生活スタイル。
「合気道は東広島市の道場でも教えていますから、尾道は3日、東広島は2日、つまり週に5日間は合気道の指導で充実しています」
会社員の頃は、奥様を扶養家族にしていましたが、今は逆転して杉原さんが扶養家族になっているとか。一大決心となった定年後のライフシフト、長年親しんできた合気道が体力気力の両面から杉原さんの支えになっているようです。
勝ち負けを競わない、合気道に心惹かれて
「子どもの頃は明るい性格でしたが、小さい身体にコンプレックスを感じていました。そこで筋力を鍛えるトレーニングに励んだものです。中学に入学すると同級生に誘われて、卓球部に入りました」
クラブ活動は続けたものの、友だちと遊ぶことも楽しくなり、やがて高校1年の夏には卓球部をやめて帰宅部へ。
「しかし、部活の練習後も仲間同士が集まってわいわいやっているのを見ると、あゝうらやましいなあと思ったものです」
愛媛県の大学へ進んだときには、今度こそ自分に合うスポーツを見つけたいと期待でいっぱいに。
「さすが大学は体育系サークルがたくさんあるんですよ。その中から経験者が少なく、新入生が“ゼロ”の状態から揃ってスタートラインに並ぶことができる部活を探しました」
クラブ紹介のオリエンテーションを観て、選んだのが合気道部です。
「部活を紹介する先輩のりりしい姿が印象的で、これもご縁かと入部を決めました」
勝ち負けを競うことがない合気道は杉原さんにとって相性が良く、厳しい練習の中、一生懸命に打ち込み、在学中に二段を取得しました。
「当時の師範は技はもとより人格も素晴らしくて、この方に学ぶことが出来たのは良かったです。また、主将として部員50人余りのまとめ役も務めました」
大学卒業後は大手電機メーカーに入社し、商品開発部門へ。
「栃木県宇都宮市に転勤したときは、東京の新宿にある本部道場へ毎週のように稽古に通いました。これも良い思い出ですね」
いくつになっても成長できる、誰かのお役に立てる
今も合気道には成長できることを実感すると杉原さんは語ります。
「同じ技をかけても、去年より今年の方が進歩してきたな、そういうことがあります。かつて指導者の方が言ったのはこういうことかと、何か、すとんと腑に落ちる感じで理解できる。それは小さな驚きであり、感動ですね」
杉原さんは現在六段ですが、世界中に一人だけ最高段位の九段を持つ95歳の方が日本にいらっしゃるとか。
「はるかに遠い高みですが、私の年齢からすればまだまだ30年も先にあるわけです。これから何事も着実に頑張っていこうという励みになりますね」
地域の活動にも積極的に参加なさっています。
「自宅がある東広島市には、地域の環境整美をめざす“草刈りの会”があり、以前から参加して汗を流しています。また、生活の手伝いを住民たちで行う“お助け隊”にも家内と一緒に仲間入りしました。買い物の手伝いや粗大ごみの搬出、通院支援などの活動を通して、地域の皆さんとのコミュニケーションも広がっています」
企業人を卒業してから1年、新しい生活スタイルはいかがですか。
「定年後をどう生きるのか、私がまず選んだのは家族であり、次に合気道です。さまざまな人と地域との交流を大切にして、これからも私なりにお役に立っていきたい、そう考えています」
プロフィール
杉原 伸昭(すぎはら のぶあき)
編集部より
杉原さん曰く「手を置かれた人がその手の感覚を意識しなくなった時に、本当に後ろに一歩動くだけ。力は入れてないんよ。」
状況に抗うことなく、でも、その時々でご自身の中では筋を通す選択をし、そして自然体で楽しく充実した日々を過ごす。杉原さんのライフシフトを取材して感じたことと、このほんの少しの合気道体験が感覚的につながったような気がしました。