ZUTTOな人々公開日:2025.03.26更新日:2025.03.26

子どもたちへ地域活性のバトンをつなぎたい<観光人力車>佐藤重幸さん

子どもたちへ地域活性のバトンをつなぎたい<観光人力車>佐藤重幸さん

福山を盛り上げるために「福山人力車オヤジsigeさん」として活動している佐藤さん。見せていただいた人力車は、想像より大きく存在感がありました。
佐藤さんは福山地区消防組合に勤務しながら、ボランティアで「観光人力車」を始めました。58歳で早期退職した後、本格的に活動を開始しました。一方で在職中に脳梗塞を発症、退職後に2回入院しましたが、リハビリを経て活動を続けています。
佐藤さんを奮い立たせるものとは何なのか、人力車活動にかける情熱についてお話を伺いました。

目次

「心のお土産」を持って帰ってもらいたい

佐藤さんは出身地である福山市沼隈町や鞆の浦を中心に、福山地域で開催されるイベントに人力車で参加。活動の様子は『福山人力車オヤジsigeさん』のInstagramやX、YouTubeで発信中です。

 

なお、定期的な活動として「福山草戸稲荷神社 with ご縁繋がるマーケット」のマルシェに参加しています。

>参加日については『福山人力車オヤジsigeさん』のInstagramをご覧ください。

※2025年は、4/6(日)、5/25(日)、6/29(日)などを予定。

 

2025年5月開催の「第20回世界バラ会議福山大会 2025」でも応援宣言に登録済み。人力車によるPRとおもてなしで「ばらのまち福山」を盛り上げます。

 

佐藤さんは福山を訪れた人に「心のお土産」、すなわち思い出を持って帰ってもらいたいと願っています。

 

「鞆の浦の町中は徒歩で観光します。しかし、おじいちゃん、おばあちゃん、体の不自由な人、妊婦さんは、ホテルに着いた瞬間に歩いて回るのを諦めてしまいます。そうなると、もう二度と鞆の浦には来ない。だからこそ、私が人力車を引いて鞆の浦を案内すれば良い思い出になり、リピーターになるかもしれません」

 

ZUTTO(ずっと)な人々 人力車をひく佐藤さん

草戸稲荷神社で人力車に乗せていただきました。思ったより座面が上がり、視野が広がります。佐藤さんとのコミュニケーションも楽しいポイント。

 

福山には仕事などで滞在する外国人もいます。

 

「縁あって仲良くなった外国人がいました。彼らが国に帰るときに、お土産はあるのかと尋ねると、たくさん買ったと言います。じゃあ、心のお土産はあるのかと尋ねると、家と職場の往復の生活だったので特にないと答えるんです。

だったら一日付き合えということで、人力車で瀬戸内の海を案内しました。海が珍しい内陸から来ている人もいたので、鞆の浦の鯛網や足湯に連れて行ったり、海の水を少しだけ味わってもらったりしました。

また、遊んでいる様子をビデオに撮り、編集してDVDにして渡した人もいました。国に帰って思い出話をしてもらえれば、福山を世界に発信できますよね」

人力車を引くと、人生が激変します

佐藤さんは人力車に“乗る”だけでは、まだ不十分だと言います。

「人力車に“乗る”と、人生が変わります。人力車を“引く”と、人生が激変します。だから、ぜひ一度引いてみてほしい」と力説します。

 

これらの活動はすべてボランティア。人力車で利益を得るつもりはないと言います。

「私の座右の銘は『先従隗始(先づ隗より始めよ)』です。福山を盛り上げるには誰かが何かを始めないといけない。私は地域振興のために先陣を切る『ファーストペンギン』になります」

 

ZUTTO(ずっと)な人々 佐藤さんの座右の銘

佐藤さんの座右の銘がプリントされたオリジナルTシャツ。「先従隗始」「知之者不如好之者 好之者不如楽之者(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。論語の一節)」

 

完全ボランティアの人力車は他に例がなく、逆に警戒されることもあるとのこと。

「人力車に乗った後に何かを売りつけられるんじゃないかとか(笑)。活動の信用をつけるため、NPO化、一般社団法人化も検討中です。若い世代のメンバーも巻き込んで一緒に活動していきたいです」

病と向き合い「現世でやることがまだある」

佐藤さんは1981年に国鉄に入社しました。JRへの民営化の際に地元を離れがたく、1990年に福山地区消防組合に転職。58歳で早期退職するまで30年間勤務しました。

在職中からボランティアで観光人力車の活動を行っていましたが、退職後に活動を本格化したそうです。

 

そして、佐藤さんは今までに脳梗塞で二度入院しています。

「一度目は2020年、二度目は一昨年で、夏の草刈り中に倒れました。私は消防士時代から体内の水分量が一般の人と比べて少ない方でしたので、草刈りでさらに血が濃くなったんでしょうね」

 

頭の中を検査すると脳梗塞や脳出血が何か所も見つかり、いわばロシアンルーレット状態だそう。

「福山の病院と地元沼隈町の病院、二人の医師から同じことを言われました。この状態でなぜこんなに元気なのかと。これはもう、神様、仏様、ご先祖様、キリスト様、アラーの神が、まだこっちには来るな、佐藤さんは現世でやることがまだあると言われているとしか思えないと。

だから、こうして生かされていることが、地域のためにボランティア活動をしたいと考えるきっかけになりましたね」

 

ZUTTO(ずっと)な人々 話す佐藤さん

「もう、脳梗塞のプロなんよ」と佐藤さんは言います。

 

人力車の活動を通じて、また病気と向き合いながら、佐藤さんはこう言います。「私は人が好きだから。性善説者ですから」

次世代の子どもたちへ、バトンを渡したい

佐藤さんは今、次世代を担う子どもたちに期待を寄せています。『福山人力車オヤジsigeさん』のインスタグラムやXでは必ず『#次世代の君たちへ』というハッシュタグをつけて発信しています。

 

イベントでは子どもたちにも人力車を引いてもらうのだそう。

「5歳以上の子は人力車が引けるので、お父さん、お母さんを乗せて引いてもらうんです。こういう経験死ぬまでないよって。家族で来ている人には、お母さん、お父さんにも写メを撮ってもらいながら、順番に引いてもらいます」

 

子どもたちの療育を支援する、地域の放課後デイサービスからも依頼があり、ボランティア人力車を引きました。「子どもたちから、お礼の手紙をもらったんです。その純粋さに心が洗われました」

 

人力車を見る子どもたちの目は真っすぐだと佐藤さんは言います。

「子どもたちの目が光っている。『おっちゃんこれ何?』って。『昔の乗り物で人力車いうんよ。タクシーの元なんよ』というと、『おっちゃん乗せてくれ』『私も乗りたい、乗りたい!』と。乗りたいから子どもたちは一列になって待ってくれる。人力車に乗ると、目線がいつもと違って高くなるでしょう?それを喜ぶんです。

目を輝かせて人力車に乗った10歳の子が10年たてば20歳になる。その中から福山のこれからを担う子が育ってくれれば」

 

佐藤さんには、ずっと温めている夢があります。

「人力車のバトンリレーをやりたいです。人生楽しみましょうということで。福山市から広島市までつなぐリレーや、しまなみ海道でのリレーがしてみたい。一人ではできないけど、参加者が少しずつ人力車を引いてつないでいく。高校生や学生さんと一緒にイベントをやりたいですね」

 

ZUTTO(ずっと)な人々 世界バラ会議ののぼりとともに

世界バラ会議2025の幟とともに。人力車はバラのモチーフを随所にあしらった「おもてなし仕様」になっています。会期中は「デイツアー」コース内に組み込まれている「ガーデン富谷」でおもてなしをする予定だそう。

プロフィール

佐藤 重幸(さとう しげゆき)

広島県沼隈町(現・福山市沼隈町)出身、在住。生粋の沼隈っ子。国鉄を経て1990年より福山地区消防組合に勤務し、58歳の時早期退職、現在はボランティアで「観光人力車活動」を精力的に行う。
他にも瀬戸内の海をきれいにする海洋プロジェクトである「EM菌(有用微生物群)普及活動」や、鳥獣対策などのボランティアでも活動中。歴史も好き。

福山人力車オヤジsigeさんInstagram

編集部より

佐藤さんに初めてお会いしたのは、草戸稲荷神社のイベントで人力車の写真を撮影した時でした。
その時、佐藤さんがイベントに来ていたご家族やお子さんと気さくに話していたのが印象に残っています。備後弁でのテンポの良い会話の中に、佐藤さんの地元愛やお子さんへの慈しみを感じたひとときでした。

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