同級生コンビが「好き」のままに仕掛ける尾道の新たなムーブメント<空き家再生>島田典幸さん・山本徹さん

これらを手がけているのは、高校時代からの友人である島田さんと山本さんです。
それぞれの道を歩んできた二人が尾道で再び交わり、古い空き家を次々と魅力的な空間へと生まれ変わらせています。
「尾道を、散歩が楽しい街にしたい」——。
そう語るお二人に、これまでの歩みとこれからの夢を伺いました。
それぞれの道から、尾道で再び一緒に
― お二人は昔からのお友だちなんですか。
山本 徹さん(以下、山本):中学は別ですけど、高校で一緒になって。クラスも部活も同じじゃなかったけど、バイクと音楽が好きっていう共通点があって仲良くなった。バンドもやってたし、「この曲好き」っていう感覚が似てたんよね。
島田 典幸さん(以下、島田):そうそう、僕らキャロル世代。デビューアルバムを初めて聴いたとき、背筋に電気が走って。「あ、これが“しびれる”ってやつか」って。それから人生変わった。
山本:いまだにキャロル、大好き。

島田さん(左)と山本さん(右)。お二人が手がける貸別荘「step pier(海と街のガレージハウス)」でお話を伺いました。
―高校卒業後はどうされていたんですか。
山本:僕は大阪の大学に。
島田:僕は専門学校。大阪で一緒に住んでた時期もありましたね。
山本:そのあと僕は東京に出て、会わない時期もあったけど、「ロバちゃん(島田さんのあだ名)どう思う?」ってLINEで相談したりして。
島田:そうそう。まじめな話もするし、「この音楽どう?」みたいな話もずっとしてたよね。
―島田さんは尾道に戻られた?
島田:22歳で戻りました。もともと図画工作が大好き、専門学校でもモノづくりを学びました。親父が左官業なんですよ。一度ちゃんと技術を学ぼうと思って手伝うことに。

島田さんのあだ名「ロバ」は、背が高かったことが由来。もともとは「ウマ」でしたが、いつしか「ロバ」に。山本さんからは「親方」とも呼ばれています。
そのあと20年くらい別のビジネスもしてたんですが、ふと「人生やり残したことないかな」と思ったとき、子どものころの「別荘を持ちたい」って夢を思い出して。
それで出会ったのが、今、貸別荘にしている「坂の風」。リビングに入った瞬間、景色がバーンと広がって、ほんまに感動して!

「坂の風」からの絶景。
―すぐ、購入を?
島田:いや、その時はお金がなく無理で。でも、数年後に話が戻ってきて、家主さんから「ぜひ島田さんに」と。
山本:その背中を押したの、僕です(笑)「一緒に買おう!」って。
島田:この人のおかげです。
山本:でも、泊まるとお金とられるんですよ。
島田:取ってないって(笑)。
―山本さんはその頃東京ですか。
山本:そう。僕は流行り物が大好き。学生当時、ディスコのマハラジャが大阪を席巻していたんですが、麻布十番に店ができるということで、そっちでやりたいと思い、別の友達と東京に行きました。
ディスコの黒服から始まって、そのまま夜の店の世界へ。その後、独立してキャバクラを何店舗か経営してました。その頃はまあまあ羽振りも良く、さっきの「尾道に別荘があれば泊まれるね」みたいな話になったんです。
その後はハワイにも行って飲食を展開したんですけど、コロナで状況が一変。家族もいるし、改めて尾道に戻ることを決めました。

東京やハワイで複数の店舗を手がけてきた山本さん。「いつかはカリフォルニアに出店したい」という夢も抱いていました。
ご縁がつないだ、台湾豆花との出会い
― そこから台湾スイーツのお店につながるんですね。
山本:コロナ禍の間、次のビジネス探しで台湾にいて。偶然「こんな店やりたい!」っていう豆花の店に出会ったんです。
島田:その店を見つけたの俺だけどね(笑)。たまたま台湾で一緒だったんですよ。
山本:そうだっけ(笑)。その店がオシャレでめっちゃ美味くて。オーナーのお姉さんに「やらせてください!」って押しかけ、情熱のプレゼンをしてね。
島田:翻訳は尾道で仲良くなったチョウさんにお願いしてね。
山本:良いご縁がつながって「山海豆花」を尾道で開くことができました。
―商店街にある「山海豆花」のお店は雰囲気がありますね。
山本:不動産をみて、ロバが「1階をお風呂にして、ああでこうで」って言うから。で、俺が「民泊じゃなくて、もっと面白い物件作ろうよ」ってずっと言い続けてた。

山海豆花 尾道飴屋小路店の2階。山本さんのセンスが光るレトロなしつらえ。

同じくお店の3階にて。山本さんが台湾で見つけた映画のポスターが壁に並び、まるで現地にいるような空間です。
感覚で見つける、グッとくる物件
― 島田さんは、どうやって物件を見つけているんですか。
島田:もう感覚です。可愛い子がいたら思わず目がいくじゃない(笑)。それと一緒で、街を歩いてると「これいいな」って気になる物件に出会うんですよ。何回も見たくなって、やっぱりいいなって話になります。
商店街の豆花のとこも、もともとはボロボロのマッサージ屋。でも。あの場所と3階建てっていう条件にグッときた。やっぱ出会いよね。

山海豆花の外観。外壁も日本にはない、台湾っぽい色使いにこだわったそう。

入口を入ってすぐの店内。台湾ではロウソクが灯されていたという赤いランプ。
蚤の市でも、プロの小物屋さんが並べる“価値が分かりやすいもの”にはあんまり興味がない。よくわからんガラクタの中に、自分が好きなものを見つけたらめちゃめちゃ嬉しい!物件探しも、その感覚に近いです。
― 作り手としての喜びもありますか?
島田:それもないと意味がないよね。自分の能力をどこに突っ込むかって、やっぱり自分の欲求に突っ込みたい。空き家再生の取り組みしてると「良いことしてるね」って言われるけど、たまたま俺が好きなだけなんです。
― そこが一番楽しい。
島田:そう、楽しい。そこにしかパワーを注ぎたくないですね。
二人が描く、尾道の未来像
―セカンドハウスから始まった想いが形になってきていますが、これからは?
山本:人生に疲れて尾道に来て、「人が優しくて癒やされました」…みたいな話にするのは、絶対にイヤ。
島田:宿に泊まった人も「静かでいいですね」って言うけど、違うんよ。ただ寂れてるだけ。昔はもっと船も人も多かったしね。
山本:僕は40年外に出てたから、違う感覚を持ち帰れてると思うんです。それで地元に風穴を開けることができたらいいなって。

路地に腰を下ろすお二人と、その奥に広がる尾道の風景。高校時代もこんなふうに過ごしていたのでは、と想像がふくらみます。
島田:二つ目の貸別荘のmoons cafeのキッチンの照明も、徹(山本さん)に言われて真っ赤にしたんよ。夜の雰囲気に色気が出て、あれは気づきだった。
山本:色気は大事よ(笑)。最近ピンクに塗った建物があるんです。最初は親方(島田さんのこと)から「尾道っぽくない」って言われたけど、だんだん僕に感化されてる。ハワイの“ピルボックス”に形が似ているんで、「ピンクに塗ってみよう」とか。
その流れで建物が増えて、“ピンクビレッジ”みたいになったら最高!ムーブメントをつくりたい。

現在制作中のピンクの建物。もともとあったヤシの木と相まって、どこかハワイのような空気が漂います。
島田:例えば、倉敷は“完成されていて外れがない、デパートみたいな街”。誰を連れて行っても楽しめる。でも、尾道は違う。ロープウェイ乗ってラーメン食べて帰ったら、もう来ないと思うんです。でも、蚤の市の買い物のように10回中1回でも面白いことがあれば、また来たくなる。そういう街でいい。
散歩が楽しい、絵本みたいな街にしたいよね。向島も含めて、色があって、可愛い家が並んでて。
山本:壁に絵を描いたりしてね、ハワイのカカアコ地区にあるソルトみたいに。写真を撮りに来る人も増えると思う。
島田:音も必要よ。ライブがあって、コーヒーがあって、海があって。全部つながらないとムーブメントにならん(笑)。

制作中のピンクの建物の前で、肩を並べるお二人。その夢はこれからも広がり続けます。
尾道の貸別荘「ファンバケーション」
山海豆花 尾道飴屋小路店 インスタグラム
https://www.instagram.com/onomichi_sankaitoufa/
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プロフィール
島田 典幸(しまだ のりゆき)・山本 徹(やまもと とおる)
それぞれの道を歩んだのち、再び尾道で合流。現在は空き家の再生や貸別荘の運営などに取り組んでいる。
二人は、小型ボードなどの海遊びを提案する「しまなみシーサイダー」を展開。山本さんは「山海豆花 尾道飴屋小路店」の店長を務める。
編集部より
話を聞くうちに、お二人の仕事への向き合い方や性格には、意外と違いがあることにも気づきました。それでもこうして一緒に動き続けている理由は、「フィーリングが合うから」。お互いへのリスペクトも、何気ない会話の端々に感じられました。
一見やんちゃなお二人ですが、最後に交わした握手は、とてもやわらかく温かいものでした。







